平面作品の可能性について
1月11日、日曜日の午後2時。
あーとらんどギャラリーにて、第8回目となる個展にあわせたギャラリートークを行った。多くの来場者とともに、作品が立ち上げる空間の内部で、約1時間、時間の流れそのものを共有するようなひとときとなった。
今回は、広島県より即興演奏家・庄子勝治さんを招き、尺八とバスクラリネットによる演奏が空間に差し込まれた。演奏に先立ち、庄子さんは尺八という楽器がもつ音の正体について語った。それは単音ではなく、厚く重なり合う倍音の集合体であること。さらに、日本人が古来より耳にしてきた音の感覚が、明治以降に流入した西洋音楽とは、音の質そのものにおいて大きく異なっているということ。言葉は静かに、しかし確かに場の空気を変えていった。
これまで深く話す機会のなかった庄子さんだが、トークが始まる前、彼は自身が考える「ノイズ」と私の作品とのあいだに、共通する感触があると語ってくれた。私は、1970年代以降、音楽家たちが音の質そのものへと意識を向け、数多くの実験を重ねてきたこと、そして「音によって場を構成する」という試みが、美術・造形の分野におけるインスタレーションを中心とした表現活動と、ほぼ同じ時間軸のなかで展開してきたことに、近年強く惹かれていると応えた。
私はこれまで、表現の媒体となる素材の質にこだわりながら制作を続けてきた。その在り方を、ある人が「素の美」という言葉で表してくれたことがある。近代以降、表現の無限の可能性を信じるアーティストが生み出す作品は、しばしば最初、異物として、ノイズとして受け取られる。しかし、その違和感こそが、新しい感覚や思考の入口となる——そのことの重要性を、トークの軸として約30分、言葉を重ねた。
音が空間を揺らし、作品が沈黙の中で応答する。
その交差点に立ち現れた時間は、確かに、そこでしか生まれ得ないものだった。


コメントを残す